2000年7.20嘉手納基地包囲ハイライト

広大な嘉手納基地の現状と非戦・平和の願いを求め、2000年7月20日14時より15時まで
3回にわたって人間の手・手・手の鎖により嘉手納基地包囲行動が行われた。
嘉手納基地のフェンス沿い約17.4キロ(2007万1952u)を2万7100人の
「人間の鎖」
で基地包囲が行われた。

*今回、ヘリコプターによる取材が初めて許可されたようだ。良き隣人政策の一環なのか、それとも・・・・

参加団体:沖縄平和運動センター、統一連、平和市民連絡会加盟100団体、県外約1500人、ジュビリー2000など 海外NGO

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沖縄における基地包囲行動
嘉手納基地包囲(第1回)2007万1952u・17.4Km
  1987年6月21日25000人で包囲
嘉手納基地包囲(第2回)2007万1952u・17.4Km
1990年8月5日26000人で包囲
普天間基地包囲(第1回)
1995年5月14日17000人で包囲
普天間基地包囲(第2回)
1998年5月17日16000人で包囲

 沖縄から世界へ、平和のメッセージ

 

 私たちは宣言する。戦争のための基地はいらない。

私たちは今日、アジア・太平洋の米軍事拠点・嘉手納基地を2万5000人の

「人間の鎖」で包囲した。基地の島から、平和の島へ代えるために。

 沖縄戦から55年目の夏、そして戦争の世紀といわれた20世紀最後の年に、

私たちは21世紀に向けて平和を発信する。

 沖縄を知っていますか。

太平洋戦争では地上戦が行われ、20数万人の尊いいのちが奪われた。

人が人でなくなる悲惨で汚辱にまみれた戦争だった。

私たち県民がこの戦争で学んだことは、「戦争を起こすのも人間だが、戦争

をなくすこともできるのもまた人間だということ。

 しかし、戦後の平和の訪れもつかの間、沖縄は米軍事戦略上、太平洋の要石

として、巨大な米軍基地を背負わされた。

土地を奪われ、人権を奪われ、いのちをも奪われながら、米軍支配の中、そして

祖国・日本復帰後もあわせて半世紀以上にわたりこの異常さはいまだ終わらない。

 終わるどころか、日米両政府は「アジア・太平洋の平和と安定」のためと、

この沖縄にあらたな基地を建設するという。米海兵隊普天間基地の名護市への

代替基地は、運用40年・耐用年数200年のとてつもない基地建設である。半世紀

以上におよぶ沖縄県民の人権抑圧の上に、これ以上、私たち県民にどう耐えろ

というのだろうか。

 私たちは提唱する。サミットでは、軍事によらない人間のための安全保障の確

立を議論すること。国と国、地域と地域、人と人が対話による平和的外交解決の

促進を。G8という世界のトップ・リーダ−たちにはその責務がある。

 私たちは、県民の意志とそれに共鳴する世界の人々が結んだ「人間の鎖」を、

軍隊などあらゆる暴力をもっても断ち切らせはしない。沖縄をアジア・太平洋の

軍事拠点の島から、文化が息づく平和拠点の島にするまで。

    想像してごらん 基地も戦争もない21世紀を

 2000年7月20日

 基地はいらない人間の鎖県民大行動実行委員会