1970年2月、米海兵隊は与那と安田の横断道路近くのカシマタ山を削り、
実弾射撃場を建設、三門の砲座を築いた。国頭村民をはじめ県民が反対運動を
展開、結局演習場は阻止された。住民運動の成果もあるが、ノグチゲラの
果たした役割は大きい。 米海兵隊は鳥獣保護の条約に加盟している国として条約を無視してまで演習の 建設は認められないとの立場をとる民政府を無視し、当時の琉球政府に演習の 通知をしてきた。 その後、山階鳥類研究所や日本野鳥の会がアメリカの保護団体オージュボン協会、 世界鳥類保護会議(ICBP)、ランパート高等弁務官、米海兵隊の長官などに 働きかけ、条約の順守とノグチゲラの生息地の保護を訴えた。当時、米海兵隊が 何でも意のままに行動していたのを考えると、ノグチゲラが村を演習場から 救った”恩人”ではないか。 いま、林業かノグチゲラの生息地の保護かが大きな 問題になっている。私たちは世界で国頭山地にしか生息しないノグチゲラに ついてよく考えてみたいものである。 |