田尻賞


7回田尻賞のお知らせ


7回田尻賞のお知らせ

田尻宗昭記念基金
〒136-0071 東京都江東区7-10-1 Zビル5階 TEL(03)3636-3882/FAX(03)3636-3881

「公害Gメン」の名で親しまれ、全国各地の反公害・環境保全と労災職業病追放運動の先頭に立つとともに、海 の乱開発に警告を発し続けた田尻宗昭さんが亡くなって7月4日で満8年になります。正義感に燃えた故人の功績 と遺志を後世に伝えようと設立された田尻宗昭記念基金では、今年の第7回田尻賞を次の4件に贈ることになりま した。
・ 三池CO中毒患者の夫を支えながら35年間にわたり患者家族の救済に奮闘してこられた大牟田市の松尾薫虹 さん
・ 業者と行政の圧力をはね除けて産業廃棄物の撤去運動に取り組んでいる香川県の廃棄物対策豊島住民会議 ・ ジャーナリストとしてまた地域に密着した運動家として長らく公害と行政の責任を追求し続けておられる長野市 の内山卓郎さん
・ 沖縄各地の海でサンゴ礁の写真を撮り続け、開発からのサンゴの保護を訴えながら昨年9月に潜水中の事故 で亡くなった那覇市の故吉嶺全二さん
今年の田尻賞表彰式は、7月5日(日)午後、東京YMCAホテルで行います(別掲案内参照)。受賞者およびご遺 族による貴重な体験の紹介と『ルポ戦後日本』など多くのルポルタージュの力作を著しておられる鎌田慧さんの特 別講演が行われます。奮ってご参加ください。

第7回田尻賞受賞者

・ 松尾薫虹(まつお けいこう)さん

1963年、三井鉱山三池炭鉱の三川鉱で炭塵爆発が起こった。458人が急性一酸化炭素中毒で死亡、救出され た839人もCO中毒の後遺症に悩まされることとなった。日本で最大の炭鉱事故だった。薫虹さんの夫松尾修さん も救出はされたが、後遺症は重く、二人の幼子を抱えた薫虹さんの苦闘が始まった。修さんの後遺症は、家庭内 で暴力を振るうといった精神神経症状をも伴い、家庭は破壊された。三井鉱山が災害の責任を認め、患者並びに 家族に補償することを求めた薫虹さんら4家族の損害賠償訴訟が、最高裁で決着したのは今年1月である。爆発 から実に35年を経ていた。判決は上告棄却。一審判決は三井鉱山の災害責任は認めたが、修さんら患者の賠償 額は驚くほどの低額であり、家族の慰謝料は認めなかった。三井三池炭鉱は既に前年の97年3月に閉山になっ ている。鉱山の保安サボタージュ、不当な労災認定で三井鉱山のCO中毒患者切り捨てに加担した労働行政、 CO中毒の後遺症を認めない医療、患者家族が賠償を求めた訴訟を統制違反とした三池労組。孤立無縁の中でも 屈することなく、人間の尊厳を求め続けた一炭鉱夫の妻薫虹さんの闘いは、日本の石炭産業の生きた裏面史で ある。1931年8月10日生。66歳。

・ 廃棄物対策豊島(てしま)住民会議
豊島は、映画『二十四の瞳』の舞台として知られる瀬戸内海の小豆島の西に位置する人口1,500人足らずの小島 である。豊玉姫伝説などの神話に彩られ、かつては美しい自然豊かな島であったが、現在は50万トンにも及ぶ国 内最大の廃棄物不法投棄の場となっている。豊島総合観光開発の名をもつ業者が、香川県に産廃処理場の建設 を申請したのが1975年。豊かな自然を守ろうと住民は県庁に日参し、建設差し止め訴訟も起こした。だが、行政が 曲がりなりにも住民との対話に応じるようになったのは、業者が廃棄物処理法違反容疑で警察に摘発された90年 になってからのことだ。摘発は地元の香川県警ではなく兵庫県警によってだった。「豊島の海は青く空気はきれい だが、住民の心は灰色だ」(某知事)、「運動は根無し草」(某県議)といった無理解と誹謗に耐えながら、高齢者 が半数を占める島の住民は粘り強く地道な運動を続け、ようやく97年7月の公害調停委員会で県の責任を認める 中間合意に達した。全国各地で産廃処分場問題と取り組んでいる住民運動に、一つの指針を示す先駆的成果で ある。だが、難題解決はこれからである。瀬戸内海の小島の住民運動は、大量の廃棄物の撤去、環境復元という 正念場に向け一歩を踏み出した。


・ 内山卓郎(うちやま たくろう)さん

内山さんは1968年に『エネルギーと公害』と題した週刊の専門誌を創刊、各地の大気汚染と健康被害の関連や 無秩序な開発と環境破壊の実態を自ら取材・執筆、「むつ小川原」や「苫小牧東」など国家事業としての大規模開 発を批判するなど、公害・環境ジャーナリズムの先駆者として活躍した。77年に郷里の長野市に戻ったが、85年7 月に市郊外の地附山で大規模な地滑りが起こり、内山さんの住んでいた分譲団地の50戸が埋まり、近くの老人 ホームも崩壊、26人死亡という惨事に直面。因果関係を独自に調査、自然災害ではなく、県の戸隠有料道路開発 による人災だと、長野県を相手に住宅被害の補償を求める損害賠償訴訟の先頭に立った。97年6月の長野地裁 判決は、災害絡みの訴訟では画期的な原告側の全面勝訴(確定)となった。この判決を受けて、沈黙していた老 人ホーム犠牲者の遺族たちは、内山さんを顧問格に97年11月、損害賠償の訴訟に踏み切った。一方で、内山さ んは、長野五輪との関連で県と市が着手した浅川ダム計画の欺瞞と危険性を指摘、建設差し止め訴訟にも係わ っている。地滑りの危険から冬眠状態にあった計画だが、五輪道路の必要に迫られた県と市がダムの付けかえ 道路計画を転用、五輪道路建設のためにダム計画を利用するといった本末転倒の行政を強行したからだ。長野五 輪は終わったが、後始末は山積みしている。内山さんの行政監視の作業は終わらない。1935年4月18日生。63 歳。



・ 故吉嶺全二(よしみね ぜんじ)さん

吉嶺さんは、素潜りのダイバーとして、また水中カメラマンとして沖縄各地のサンゴ礁を本土復帰前から30年以上 にわたって撮り続けた熱心な自然保護運動家であった。とりわけ同一地点のサンゴ礁を継続撮影、その変化を比 較した定点観測の記録写真は、陸の開発行為に伴う赤土の流出によるサンゴ礁死滅の姿を捉え、国の補助金を 頼りに進められる安易な開発が、沖縄の海にもたらす環境破壊への警告であった。また、サンゴ移植・サンゴ造 園が可能といった開発寄りの虚論への、事実による反論であった。新石垣島空港問題でも、吉嶺さんは貴重な白 保のサンゴの存在とともに、サンゴ礁の上に建設された新奄美空港が周辺のサンゴ礁の生態系を崩壊させた実 態をIUCN(世界自然保護連合)の世界大会で発表、沖縄県に白保海上案を撤回させる大きな力となった。最近で は、普天間基地返還の見返りに名護市に海上ヘリポートを建設するとの国の案に対して、いち早くサンゴ礁の存 在を指摘、ヘリポートが名護のサンゴに及ぼす悪影響の懸念を表明しておられた。昨97年9月24日、吉嶺さんは 沖縄本島北西部の国頭村の海に定点観測に出かけた。30日に同村宜名真の海岸でウエットスーツ姿の遺体が 発見された。享年62歳。

(海上ヘリポート*辺野古埋め立て新基地)

吉嶺さんが住民訴訟を始めるとき「住民訴訟をやるよ!これはゲームなんだと思って楽しみながらやろうよ。 そうしないと行政に押しつぶされてしまう、だから肩肘張らずに気楽にやろうよ!」この言葉が印象的である。 吉嶺さんの活動は、奥さんと二人三脚楽しみながら活動したからこそ、ここまで続いたのだろう。
今、若い人たちが定点観測をやっているが吉嶺さんのようにはいかないようだ。海中での場所の特定が 非常に難しくGPSの使用を検討しているらしい。
素潜りでの定点観測技法、吉嶺さんだからこそ出来た技法であろう。
吉嶺さんは、サンゴ死滅の原因が乱開発にあるとし、やんばるの山へも足を運ぶようになり、
NTT退職後は、山(国頭村・東村・大宜味村)で会う機会が多かったのだが、今はもう・・・・。
田尻賞受賞本当におめでとうございます。

*この田尻賞の掲載は田尻宗昭記念基金から戴いたものです。


田尻賞表賞式

1998年7月5日(高橋宏明氏撮影・1998年7月追加)








◎ 田尻宗昭記念基金運営委員

鈴木武夫(元国立公衆衛生院院長)、野沢浩(神奈川大学名誉教授)、三竝貞雄(海上保安庁OB・新日本海フェ リー)、斎藤竜太(社団法人神奈川労災職業病センター理事長)
◎ 田尻賞選考委員会
鈴木武夫(元国立公衆衛生院院長)、塚谷恒雄(京都大学教授)、土井たか子(元衆議院議長)、奈良潔(前社 団法人海洋会専務理事)、原田正純(熊本大学助教授)、村田徳治(循環資源研究所所長)
第7回田尻賞表彰式・懇親会
表彰式/ 7月5日(日)午後2時から5時/参加無料
特別講演: 鎌田慧氏(ルポライター)
懇親会/ 7月5日(日)午後5時から7時/参会費5,000円
会 場/ 東京YMCAホテル306号室(表彰式)/308号室(懇親会)
〒101-0053 東京都千代田区神田美土代町7 TEL(03)5210-4600
最寄駅: 地下鉄丸の内線「淡路町駅」、地下鉄千代田線「新御茶ノ水駅」、都営新宿線「小川町駅」
JR中央線/総武線「御茶ノ水駅」、JR山手線/京浜東北線「神田駅」

田尻宗昭記念基金募金のお願い
基金は草の根の皆様方のご協力によって、2,000万円ほど集まっていますが、過去6回の田尻賞の表彰で元本 に食い込む事態で(現在高約980万円)、利子を基に田尻賞表彰事業の継続が心もとなくなっています。引き続き 募金へのご協力を呼びかけさせていただく次第です。
○郵便振替口座「00110-7-752973 田尻宗昭記念基金」
○富士銀行三田支店「(普)3122368 田尻宗昭記念基金」
田尻宗昭記念基金連絡先変更のお知らせ
田尻宗昭記念基金の連絡先の所在地、電話番号等が移転のため下記のとおり変更になりましたので、よろしく お願いいたします。
(旧) 〒108-0073 東京都港区三田3-1-3 MKビル3階 TEL(03)5232-0182/FAX(03)5232-0183
(新) 〒136-0071 東京都江東区7-10-1 Zビル5階 TEL(03)3636-3882/FAX(03)3636-3881

2008年12月活動休止